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常滑焼急須の知られざる世界②

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9月、常滑焼で有名な愛知県常滑市を訪問しました。

常滑駅の駅前から「やきもの散歩道」を進みます。常滑焼といえば朱色の急須のイメージですが、壺やお皿などのやきものもたくさんあります!

常滑焼っていつから作られてるの・・・?

常滑焼は、愛知県常滑市を中心とし、その周辺を含む知多半島内で焼かれる炻器という日本六古窯の一つ。 2017年、常滑焼は、瀬戸焼、越前焼、丹波立杭焼、備前焼、信楽焼、とともに、日本六古窯として日本遺産に認定されました。平安時代の後期には3,000もの穴窯で、壺や山皿などが焼かれました。この時代(中世)に作られた焼き物は、一般に「古常滑」と呼ばれています。

中世の常滑窯は、他の焼き物の産地の中でも最も大きい生産地でした。作られた焼き物も皿・茶碗・片口鉢・三筋壷・経塚壺・大甕など沢山あり、特に大型のやきものが特長としていました。

その後、室町時代に入ると「窯」は常滑地区に集まってきて、それらのやきものは遠く東北地方を始め、関東・関西・中国から九州にまで運ばれました。窯も地下式の穴窯から半地上式の大窯に改良され、製品は褐色の自然釉の真焼け、ガーデニングで使う鉢植えのような、赤物と呼ばれた素焼きの甕を始めとする日用雑器が多くなりました。

江戸時代の終わりには、連房式登窯が現れ製品も真焼けや素焼きの土管・甕・朱泥製品(茶器・酒器・火鉢など)が加わりました。

明治時代になって、それまでの山の斜面に築かれていた窯が平地に築かれるようになり、(平地窯)欧米の技術もはいってきて機械化も始まり、窯も更に改良されて倒炎式角窯が使われるようになりました。

陶器にも※釉薬を掛けたものが多くなり、(※陶磁器の表面をおおっているつるつるしたガラス質になる部分)土管・焼酎瓶・建築陶器(煉瓦・タイル)衛生陶器も作られるようになり、燃料も薪に代わって、石炭が使われるようになりました。そして製品の種類も生産量も一層増加して、近代産業に仲間入りしました。技術は急速に進歩し、機械による大量生産も始まりました。

以後、大正・昭和・平成と移り変わって技術も大幅に進歩し、窯、製品の種類・質、生産額も飛躍的に伸びて現在のようになりました。(出展:常滑市民俗資料館)

現在はこの常滑技法をいかした焼きものを、伝統工芸士といわれる職人さんや、陶芸家の方々が様々な感性で作り出しています。狭山園で販売している昭龍さんという職人さんが作った急須や茶器は中国で大変な人気があり高値がついているそうです!

10/2から始まる狭山園の「秋の蔵出し市」ではこの常滑で仕入れてきたお手頃で素敵な急須が、店頭に沢山並ぶ予定ですので、ぜひ自分にぴったりな急須を見つけに来てください。

常滑のやきもの散歩道を歩いたビデオを狭山園Youtubeチャンネルにアップしました!ぜひご覧下さい

 

 

 

 

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